Concept

コンセプト

原点にこだわる。

「天婦羅」とは当て字であり、南蛮渡来の料理である。元々は、「TENPERO」若しくは、「TENPEIRO」と言う言葉が語源です。

大昔の「天婦羅」とは、今でいう「ファーストフード」だった⁉

江戸の天ぷらは今でいう串カツスタイル。屋台で串刺しの天ぷらを買ったり食べたりしていました。「二度漬け禁止」のタレに付けて食べる、安価なグルメとして親しまれていました。
かの有名な徳川家康の死因は鯛の天ぷらだという説をご存知でしょうか? 上方商人の茶屋四郎次郎が人気の南蛮料理を紹介すると、好奇心旺盛な家康が興味を示し、鯛のすり身を天ぷらにして薬味を乗せた南蛮漬けのようなものを食べすぎて食あたりを起こし、その腹痛がおさまらずに75歳で亡くなったといわれています。
家康もそうなってしまうほど、江戸時代の食文化は華やかでした。今ではご褒美の日本料理、お寿司や天ぷらがなんと! 江戸ではファストフードだったというほど!

「天婦羅」は、日本発祥の料理ではない⁉

油で食材を揚げる食べ物は、奈良時代に中国(当時は唐王朝)から唐菓子と呼ばれる、小麦粉を水で練ったものを揚げる食べものが渡来したといわれている。しかし、当時は油が大変貴重で日本人の嗜好に合わなかったため、ごく一部の寺院などに行事食として伝わったのみだった。
日本の天ぷらの起源とされる衣揚げがポルトガル人によって伝えられたのは、それより少し後の安土・桃山時代になってからのこと。この衣揚げは「長崎天ぷら」と呼ばれ、衣は水を使わずに小麦粉、卵、酒、砂糖、塩を混ぜたもので、厚いフリッター状の衣にはしっかりと味が付いており、食材と衣の両方を味わうものだった。